2008-2009

Portugal

Paris

   
 
 
年内の仕事をなんとか片つけ、ポルトガルに出発。7時台のフライトはさすがにラウンジも静か、そしてまだ深夜の雰囲気・・・。

 

Lisboa

   
 
 
同じヨーロッパ大陸でも1時間の時差のある最西端の国、ポルトガル。リスボンまでの飛行時間は3時間と結構長い。途中、朝焼けの中を飛ぶ。時差が1時間あるのも驚く。

 

Lisboa

 
 
レンタカーを借りて市内に入るともうお昼。とにかく何でものんびりしているので、パリのリズムは通用しない。もちろん、東京とはゼンゼン違う・・・。ポルトガルのビールメーカー、サグレシュの経営するビアレストランで軽くランチ。ポルトガル初の食事は、やはりオーソドックスに、干しダラのコロッケ、パシュティッシュ・デ・バカリャウ、とジャガイモとちりめんキャベツのスープ、カルド・ヴェルデ。メインは干しダラとジャガイモ、玉葱と卵のソテー、バカリャウ・ア・ゴメス・デ・サと、鴨のゴハン、アローシュ・デ・パット。どれも全くといっていいほど油っぽくなくて、素朴ながらにとても美味しい。ワインは「緑のワイン」ヴィーニョ・ヴェルテ。完熟前の葡萄から作られるため、アルコール度が低く軽い発泡性。ランチにはぴったり。

 

Lisboa

 
 
食後はバイロ・アルト地区(高い丘の意味)の歴史的カフェ、ア・ブラジレイラでカフェを。サンジェルマンで言えば、カフェ・ド・フロール?と思わせる、芸術家や知識人の集ったカフェ。テラスにある座像はポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアの像。ポルトガルのスイーツはカステラやボーロといった南蛮菓子のルーツ、素朴で懐かしい味は甘いものが苦手な私達もついつい頂いてしまう美味しさ。カスタードクリームを焼いたものがベースだけれど、皮の部分は高温で焼くためパリパリで美味しい!

 

Lisboa

 
 
 
午後はバイシャ地区(低い土地の意味)へ。テージョ川に面したコメルシオ広場は郵政省や海軍省などの建物に囲まれている。リスボンの町は、バイロ・アルトとアルファマの2つの丘に挟まれたこの地域で構成されていることを知る。

 

Lisboa

 
 
夜はバイロ・アルト地区のレストランで頂く。お魚のスープは具沢山でスープというよりお魚の煮込み?他にはタコのサラダ、サラーダ・デ・ポルヴォ、イワシの塩焼き、サルディーニャス・アサータス。干しダラのコロッケもここではちょっと華奢に出てくる。ワインはお昼と同じ、ヴィーニョ・ヴェルテ。小さなポーションで少しづつ頂けるのも嬉しい。

 

Lisboa

 
 
 
パリから来るとなんと言っても暖かいリスボン。食後はバイロ・アルト地区を散歩する。「7つの丘」と呼ばれるリスボンは本当に坂道が多い。それも大変な急勾配!レトロな市電、カリャリースはテージョ川を背景に急坂を上り下りする。情緒満点だけれど、車を運転するにはちょっとコワイ・・・。帰りは、クリスマスのイルミネーションも華やかな、リスボンのシャンゼリゼ(?)リベルダーデ通りを通る。

 

Lisboa

   
 
 
リベルダーデ通りの終点はオベリスクの建つレスタウラドーレス広場。16世紀末からスペインに支配されてきた60年間。1640年、ついにポルトガルは再独立を果たす。レスタウドーレスとは「復興者達」という意味だそう。勝利と独立の精神を表すオベリスクが建ち、西側にはフォス宮が建つ。

 

Lisboa

 
 
 
 
 
アレンテージョ会館の中にあるレストランにランチ行く。建物は一見の価値がある。グラナダのアルハンブラ宮殿を彷彿とさせる内装。
アレンテージョ地方のメニュウなのだけれど・・・はっきり言って、マズイ・・・。アレンテージョ地方のティピカルなスープ、アソルダ・アレンテジャーナ。コリアンダーとパン、ポーチドエッグと見た目は美しいけれど、オリーブオイルを飲むよう!ひよこ豆と干しダラのサラダと魚介のクリームスープ、クレム・デ・マリシュコはまあ普通に美味しい?アンコウの揚げ物は良しとしても、付け合せのパンのスープに浸して生の(!)にんにくを混ぜた、オートミールのような触感を食べる頃には、もうオリーブオイルとにんにくでげっそり、早くホテルに帰りたい!

 

Setubal

 
 
リスボンとカルガルヴェ地方に挟まれた海岸一帯はコスタ・アズール(青い海岸)と呼ばれる。この街、セトゥーバルにはポルトガルの建築家、アルヴァロ・シーザの作品、ポリテクニックがある。大学構内も見せていただく。

 

Lisboa

 
 
 
1966年に完成した巨大かつ高さのある「4月25日橋」を通ってリスボンに戻る。以前は独裁者サラザールの名をとった橋も、1974年4月25日、アントニオ・スピノラら革新派軍人のクーデターによち新政府が誕生、以来この名前になったという。とにかく、本当に壮大!!

 

Lisboa

 
 
セトゥーバルからの帰り道リスボン唯一の世界遺産、ジェロニモス修道院を見る。リスボン中心部からテージョ川沿いに6km程西にあるべレン地区。16世紀はじめヨーロッパの列強が争っていた時代にポルトガルは敢然と未知の海へと乗り出し、輝かしい大航海時代の幕開け、エンリケ航海王子は海洋国ポルトガルの創始者となる。この王子ゆかりのモニュメントもこのべレン地区に多くある。ジェロニモス修道院はエンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業をたたえて建立されたポルトガルの黄金期を象徴する建物。べレンの塔はテージョ河口に浮かぶ要塞で、新大陸に向けて船が出たこのべレン地区にある。

 

Lisboa

 
 
ポルトガルの滞在も数日過ぎると、ようやく「何が美味しいのか?」わかってきた気がする?結局、昨晩のちょっとソフィスティケイトされたポルトガル・レストランへ。オーナーのフランス語にも助けられ、前回と同じお席、「ホーム」?今回は突き出しのフレッシュ・チーズも生ハムも頂き、鮪のソテー他、太陽のワインと言われる14%のアルコールを含む、極上のポルトガルワインも頂く。

 

Lisboa

   
 
 
車でリスボンからトマール、バターリアを通りコインブラまで行く予定。ホテル近くのスーパーでミネラル・ウォーターなどを調達。お魚売り場には・・・やはり巨大な干しダラのコーナーが。ポルトガル人の生活には本当になくてはならないものらしい!

 

Tomar

 
 
 
 
 
 
ナバオン川の岬に広がるトマールの街。12世紀初めに創設されたマヌエル様式の美しい修道院を訪ねる。1147年サンタレンの戦いに勝利しレコンキスタに貢献したテンプル騎士団にアフォンソ1世がその恩賞として土地を与えたと言われる。14世紀以降エンリケ航海王子の率いるキリスト騎士団の手に移るがこの財力を持って、ポルトガルを大航海時代へと導く。
Convento de Cristoユネスコの世界遺産でもあるこの修道院、険しい山道を登ると12世紀に築かれた城の城壁が残る。エンリケ航海王子もここで暮らしたという。スペイン人建築家によるもので数年前に訪れたスペインのサラマンカを思わせる銀細工(プラテレスコ)が美しい。回廊はゴシック様式のアーチと、ポルトガルの修道院ならではのブルーのアズレージョ(タイル)本当にが美しい。中庭にはオレンジがたわわに実をつけている。ビザンチン風ロマネスク様式の八角の堂はテンプル騎士団の円堂。その先、ジョアン3世の回廊はイタリア、ルネッサンスの建築家によるもの。テラス上部にはマヌエル様式の窓があり、マスト、鎖といった大航海時代、世界に向かって躍進したポルトガルを象徴するモチーフが刻まれている。

 

Bataglia

 
 
 
壮大なトマールの修道院を後に、バターリアに到着。バターリアとはポルトガル語で「戦い」と言う意味だそう。1385年、スペインに対してポルトガルの独立を守った歴史的戦いの勝利を示す修道院を訪ねる。ジョアン1世が聖母マリアに感謝を捧げるために創設したもの。Mosteio de Santa Maria da Vitria1388年に着工して16世紀初頭まで何人もの建築家に引継がれて出来たこの修道院はポルトガルのゴシック・マヌエル様式を代表する建築のひとつで、世界遺産でもある。ゴシック様式の回廊に、リスボンのジェロニモス修道院を手がけたボイタックがマヌエル様式の装飾を施していて、見事な調和を生み出し本当に美しい。

 

Coimbra

 
 
 
今年もあと少し・・・。もはやライフワークとも言える修道院めぐりで31日を終えるとは!もう十数年の渡り、フランスはもちろんスペインのロマネスク教会を巡っているけれどポルトガルなかなか濃厚。ようやくコインブラに到着する。政治のリスボン、商業のポルト、そして第3の都市。ヨーロッパでも、パリ、ボローニャ、サラマンカに並ぶ古い大学街。確かににボローニャやサラマンカになんとなく似ている。街を流れるモンデゴ川、侍女と王子という身分の違いから結婚できなかった、イネス・デ・カストロとペドロ王子の物語の舞台にもなった街。そのイネスの涙の館を改装したホテルに泊まる。フランスやスペインに比べると国自体が小さいので街から街も近い。ようやく今年も暮れて行く。ホテル内の暖炉暖かいバールにて静かに大晦日。

 

Coimbra

 
 
 
ルレ・シャトウのホテルはどこも歴史的建造物を素敵に改装してあって、スペインのパラドールを思わせる。ただ、レストランが「フレンチ」なことが多いのはちょっと困る。それも1つ星。フランス以外の国の星はなかなか難しく、??のことも多いので中庭付きのお部屋でゆっくり年越しのアペリティフを。ようやく休まる。

 

Coimbra

 
 
 
早めにアペリティフを頂き、SPAを覗く。スイスのヴァルスのSPAを思い出すような神秘的な空間。少し泳ぎ、ミストサウナに入りすっかりリフレッシュ。

 

Coimbra

 
 
いよいよ今年もあと数時間。館内のお部屋はどこも素敵な上、ワイヤレスネットワークでインターネットも繋がる。今年最後の仕事をする渋い私達!カウントダウンが終わると同時に花火が上がる。ようやく2009年!

 

Coimbra

   
 
 
海外で向かえるお正月は意外にも久しぶり。あっけなくてちょっとさみしい?中庭のプールを望んで、今年最初の朝食。アスパラガスがあるのも珍しくて美味しい!

 

Coimbra

 
 
イネス・ド・カストロが住んでいたとされるこの館。小さいながらにとても素敵。館の裏には広大な庭園が広がる、広大な敷地。

 

Coimbra

hotel1   hotel2
 
 
庭園はポルトガルらしい植物が生い茂り、そこを抜けると涙の泉、Fonte das Lagrimasがある。侍女と王子と言う身分の違いから結婚できず殺されてしまったというイネス、ペドロ王維持と愛を語らった泉、Fonte dos Amoras。そこにある赤い石はイネスの血で染まったという。

 

Coimbra

 
 
 
1月1日のコインブラの街はさすがに静か。丘の街を歩いていくと5月8日広場に面したMosteiro de Santa Cruz、サンタ・クルス修道院へ。1131年、アフォンソ・エンリケスによって立てられ16世紀にはマヌエル1世が改装を行う。本堂にある説教壇はニコラ・シャンテレーネによるポルトガル・ルネッサンス彫刻の傑作。

 

Coimbra

 
 
コインブラはエストレラ山脈を源とするモンデゴ川のほとりの丘の街。坂の多い街並みは起伏に富んでいて美しい・・・。

 

Coimbra

 
 
 
コインブラのカテドラル「セ」。これも典型的なロマネスク教会。お城のような構えと様々な時代の変遷が感じられる。

 

Coimbra

 
 
コインブラは大学町。岡の一番高いところに大学の施設が集合している。これは最も古い正門「鉄の扉」。格と歴史を感じる。

 

Coimbra

 
 
 

大学の新しい部分はむしろ戦前のファシズム建築のような面持ち。威厳はあるがちょっといかつく拒絶すような感じがする。

 

Coimbra

 
 
 
町のなかにはいくつかのロマネスク教会がある。中世起源の町の特徴で、小さな広場とともに穏やかな雰囲気を作っている。

 

Coimbra

   
 
 
元旦の静かなコインブラの街を後にポルトへ向かう。オリーブオイルと、バカリャウ(干しダラ)とにんにくに少々食傷気味の私。カフェで簡単なランチを頂く。コレももちろんバカリャウのクロケットとお米のスープ、カンタンだけれど意外に美味しい!

 

Porto

   
 
 
ルレ・シャトウやポウサーダ、スペインのパラドール、どれも素晴らしいけれど、古城や古い館を改装してホテルにしているため、素敵なのはいいけれど、お湯がふんだんに使えないとか・・・ヨーロッパらしい事情はいずこも同じ。少々、疲れる・・・。ポルトはリスボンに次ぐ大都市、久しぶりにアメリカ系のホテルへ。インドからバングラディッシュの首都、ダッカに入ったとき「Sheraton」のロゴに救われたのを思い出す。ポルトガルの白ワイン、ヴィーニョ・ヴェルデは軽い発泡性があってイタリアのプロセッコのよう。

 

Porto

 
 
 
 
 
 
アルヴァロ・シーザ設計の現代美術館にゆく。白い簡素な箱が作品の背景として出すぎずうまく作品を引き立てている。様々に展開する空間は変化があって、展示作品もうまく空間にフィットしている。しばしポルトにいることを忘れる。

 

Porto

   
 
 
レム・コールハウスの作品、ポルトの音楽ホールを見に行く。地下の駐車場は昔行ったアメリカのフランクロイドライト、ジョンソンワックス本社の様・・・?

 

Porto

   
 
 
ポルトガルのメニュウもだいぶ分かってきて、シンプルなモノほど美味しい。レム・コールハウス作品の音楽ホールの食堂で、ティピカルなランチを頂く。いつも通りの干しダラとジャガイモ、そしてスープ。ほっとくつろぐ。

 

Porto

 
 
 
 
 
 
ポルト市の音楽ホールは、オランダ人建築家、レム・コールハウスの作品。まるでダイヤモンドの形のオブジェのような建物。ホールの中も全てにおいてパズルのような迷宮のような・・・。一体自分がどこにいるのか分からなくなりそう。最上階のフォアイエは、ポルトガルの文化に敬意を表したのか、ポルトガルのタイル、アズレージョとコールハウスという異色の組み合わせが面白い。ただ、音楽ホールにここまでの形が必要かしら?と言うのが正直な気持ち。オブジェのような、奇をてらった形の建築ばかりがマスコミでもてはやされる傾向にはもううんざり・・・。「心地のいい空間」コレが一番大切なのでは?

 

Porto

   
 
 
ポルトガルの建築家、ソト・デ・モーラの作品を発見!主人はインドへコルビジェ作品を見る旅でご一緒した。こんな目抜き通りに高層ビルを建てていたとは・・・。同じくポルトガルの建築家、アルヴァロ・シーザも同世代とか。

 

Porto

 
 
ポルトの玄関口、サン・ベント駅。20世紀初め修道院の跡地に建てられた。ジョルジェ・コラコの作品であるアズレージョ(タイル)が本当に美しい。セウタ攻略やジョアン1世のポルト入りなどの歴史的出来事が描かれているとか。どの国でも駅は独特の旅情が漂っていて好きだけれど、まるで美術館のような駅。

 

Porto

 
 
ポルトガルの街並の特徴はなんと言ってもアパルトマンの外壁がアズレージョと呼ばれる装飾タイルで彩られていること。15世紀にアラブから伝えられたと言う装飾タイルは16世紀にはポルトガル独自の美しいアズレージョへと華麗に変化を遂げる。アパルトマンによっては色だけのタイルでモザイクのようになっていたりと、とにかく美しい。

 

Porto

 
 
 
 
カテドラルの中庭。ここもやはり回廊を美しいアズレージョが彩る。ポルトガルの修道院はこの青と白のアズレージョと中庭の緑のコントラストがどこもとても美しい。夕暮れになるとアズレージョが独特の雰囲気をかもし出す。

 

Porto

 
 
 
 
Igreja de Sao Francisco14世紀初めにゴシック様式で建てられ、17世紀にバロック様式に改装されたサン・フランシスコ教会。ターリャ・ドゥラーダ(金泥細工)と呼ばれる技法によるバロック装飾は正に圧巻!天井、壁、柱のすべてにつる草、鳥、天使などなど!更に金箔も貼られていて本当に濃い!

 

Porto

   
 
 
Palacio da Bolsaポルトガルのお天気はこの時期本当に変わりやすく、さっきまで晴れていたのに、豪雨に!その後は美しい夕暮れに・・・。ボルサ宮も美しく映えて。

 

Porto

 
 
 
ドウロ川の北岸の丘陵地の街、ポルト。ドウロ川の南岸はローマ帝国時代Cale、カーレと呼ばれる州で、ドウロ川の河口の街が港、つまりPortusの役割をもっていたので、ここはポルトゥス・カーレと呼ばれていた。これがポルトガルの語源とか。ポルトは正にポルトガル発祥の地。そしてエンリケ航海王子による海外進出の拠点の港ともなった。雨の後の美しい空に港町らしい景色が広がる。いつまでも見ていたい・・・。

 

Porto

 
 
ポルトガルと言えばポルトワイン。子供の頃日本で聞いた「赤玉ポートワイン」以来、なんだか憧れていたポルトの街。ローマ帝国の衰退後、8世紀にはこの地域の支配権はイスラム教徒に移る。そのイスラム教 徒から国土を取り戻したポルトカリア伯爵と呼ばれるフランス貴族が居た。フランスからポルトガルに葡萄の苗を持ち込んだのもこの伯爵。そんな歴史を読みな がら、ポルトワインのデギュスタシオン。ポルトワインは1次発酵の途中でブランデーを加えて発酵を止める、いわゆる酒精強化ワインの1種。ポルト、マディラ、マサラ種が世界3大酒精強化ワインだそう。醸造方法によって、ルビー、タウニー、ヴィンテージ、ホワイトとある。芳醇なので冷やして食前酒に頂くらしい。濃いお酒はあまりいただけない私も、ほんの少しずつなら大丈夫、甘くて美味しい・・・。

 

Porto

 
 
ポルトガル最後のディナーはどうする?正直もう干しダラはいいかも・・・。オリーブオイルもにんにくももうダメかも・・・。と言うわけで、ヨーロッパの街ならどこでもはずれのないグリルのレストランへ。スペアリブのジューシーなグリルにポルトガルのまろやかな赤ワイン。久しぶりにお肉を頂く。塩胡椒だけのシンプルな味付けに完璧な焼き具合!ワインとの組み合わせも本当に美味しい〜!主人はヨーロッパでは食べる国の少ない、ポルトガル人の大好きな蛸、フリットとリゾット。運ばれてきた時にすでに蒼ざめるスゴイ量。コレでハーフポーション?一生分の蛸を食べた・・・と言う感想!明日の朝、蛸になってないといいけれど・・・。

 

Porto

 
 
食後にはポルトワイン協会の経営するポルト酒専門のバール、Solar do Vinho do Porto,ソラール・ド・ヴィーニョ・ド・ポルトへ。森の奥の噴水を抜けて暗い道の先にある素晴らしく素敵なところ!あらゆる種類のポルト酒があって、ポルト協会の方がいろいろ選んで下さる。私は濃いポルトは無理なので、白のポルトワインを少し頂く。デザートワインのように甘くてトロリとしていて、雰囲気も素敵で、とても美味しい。そして、びっくりするような値段!つまり・・・安い。パリではカフェも頂けない。本当にポルト酒協会の経営なのです。

 

Porto

   
 
 
いよいよポルトガルの旅も終了。今日はアルコバサ、シントラを経由して南下してリスボンに戻る。高速のドライヴ・INにて地図を見ながら早めのランチ。もはや定番のソパ、つまりスープと、昨晩、頂き切れなかったモノを包んで下さったので、ドギー・バッグランチ?でも、やっぱり美味しい・・・。何ともエコノミックな私!

 

Arcobasa

 
 
 
 
アルコア川とバサ川の交わる街、アルコバサ。12世紀初め、ポルトガル建国の始祖アフォンソ・エンリケス王がレコンキスタに協力したシトー派修道会に感謝して修道院を建設した。この街はこの修道院とともに生まれ育った小さな街。
Mosteiro de Santa Mariaサンタ・マリア修道院。シトー派の精神を反映した質素な修道院だけれど、その規模には圧倒される。今残っているバロック様式のファサードは18世紀になって改築されたもの。コインブラで泊まった涙の館の主人公、ペドロ1世とイネスの石棺が安置されている。アルコバサはこの修道院があるだけの街だけれど、世界遺産ということで観光客も多くにぎわっている。とにかくその壮大さには圧倒される。

 

Sintra-Paris

 
 
diary index

リスボンまであと少し、シントラ山脈の中に見え隠れする豪奢な城館。イギリスの主人バイロンはシントラの街を「エデンの園」と称えたという。深い緑の中に王宮を中心に城館が点在する景観として世界遺産にも登録されているそう。でもフライトも近いし・・・、街を車で通るだけでリスボンへと向かう。窓からの景色はうっそうとした緑と大きな館、標識も美しいアズレージョ。

ポルトガルの旅もそろそろ終わり。イメージしていたポルトガルとはゼンゼン違う、濃い文化に圧倒された。リスボンから2時間と少し。パリは極寒!

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